
BOYS,BOYS,GAS BOYS

TEXT by 初代atmos店長 今井タカシ
前回から唐突に始まって、お風呂に入ってるシーンからスタートと、呆気にとられた読者も多いはず。
なので、まずは自己紹介から始めようかと。。。
初代atmos店長を謳っておりますが、それはあくまでも2000年からの話であって、それ以前の話から。
どこまで遡れば良いのか、悩むところだが、とりあえずの分岐点としてスニーカー業界で働き始めたのが1989年。当時19歳。上野アメ横のカネオカというスニーカーショップでキャリアスタート。カネオカは現在、もう閉店してしまい存在していないが、当時隣には山男(現在は向かいに移転して、アメ横の老舗スニーカーショップとして元気に営業中)があって、スニーカー屋さん同士仁義なき戦いを繰り広げ、バッチバッチにお互いやり合っていたという、昭和感満載な、いい時代を経験。今回の記事とは、主旨が逸れるので、あまり深掘りせず、今後、その頃の時代のスニーカー屋バトルを詳しく伝えるようにしよう。


で、そのちょっと前、1988年には小学生の頃の同級生と、HIP HOPグループGAS BOYSを結成。このタイミングからラップを始める。今回は、このGAS BOYSについて書きたいと思う。

高校を卒業後、大学受験に失敗して、浪人に。そんな時に、小学校で同級生だった上杉くんに再会。小学校時代から共通の音楽の趣味があったから、すぐに意気投合して、それから毎日のようにつるんで、遊んでいた。小学生の頃に、お互い好きだったアーティストがYMO。ライディーンやテクノポリスを口ずさんで、教室で箒を振り回しながら掃除していたのは、いい思い出。それからスネークマンショウもよく聴いたな。いわゆるブラックユーモア的なものを、スネークマンショウから学んだ気がする、おませな小学6年生。
そんな自分たちが、成長して高校を卒業して、再会して、その時、お互い大好きだったアーティストはBEASTIE BOYS。はっきり言って、ものすごく影響を受けたし、未だにその残像を引き摺っている自分がいる。



BEASTIE BOYSのデビュー年は1986年。とにかく鮮烈なデビューだったのを覚えている。それまでには、聴いたことのなかった、ハードロックやパンクの音に、ラップをのせた、ヒップホップアルバム「ライセンス・トウ・イル」。まじで、最初、高校生の時に聴いた時に、一発でぶっ飛ばされた。彼らの音楽性はさることながら、ファッション、マインド、パーティー感、醸し出される雰囲気、全て、彼らの一挙手一投足が気になって仕方なかった。ベースボールキャップにTシャツ、リーバイス、足元はadidasにPUMA!今のストリートファッションと言われるスタイルの原型が、まさにBEASTIE BOYSのスタイルだったのだ!


そんなBEASTIESに憧れて、35年も前から、ずっと同じ、似たような格好を今もしてるなんて、当時夢にも思わなかったが、基本、その頃の影響が強すぎて、今に至るし、今後も変わることが無いだろう。
そして、その頃はBEASTIE BOYS以外にも、DEF JAMからPUBLIC ENEMYや、L.L.COOL Jや、SLICK RICKがデビューして、そのちょっと後にDE LA SOUL、JUNGLE BROTHERSらが、NEW SCHOOLを提唱し始めて、新しいHIP HOPの潮流が産まれたりと、新しい時代が幕を開け始めた。
HIP HOPを論じたい訳じゃないから、この辺までにして、GAS BOYSの話に戻ると、高校卒業したての自分たちは、遊びたくて仕方なかった。当時の情報源は宝島でタイニーパンクスが連載していたLAST ORGY。ヒロシくん、完ちゃんから発せられる情報だけを頼りに、日本のクラブシーンを勝手に妄想していた。
そんな折、地元柏で、相方の上杉くんがスケボーしてたら、逆ナンされたと。その逆ナンしてきた相手というのが、レゲエシンガーのチエコ・ビューティーだった。チエコちゃんと、早速仲良くなり、クラブカルチャーについて、あれこれ教えてもらう。
当時、チエコちゃんがインクスティック芝浦ファクトリーでバイトをしていた関係で、「君たち、インクに遊びに来ない?」と声をかけてもらい、初めてクラブに遊びに行った。初めて行った時のイベントがいとうせいこうさん、近田春夫さん、タイニーパンクスらが出演していたイベントで、逆の意味で衝撃を受けた。
雑誌での情報で完全に妄想して膨らませすぎていたイメージと、実際にライブを体感した時の感覚とに、乖離があり過ぎた。
実際のライブは、自分らが思っていたものとは違い、意外とショボいな、と。失礼な話だが、当時若かった自分たち(18歳)には感じられ、そのイベントを観終わって、地元に帰る道中で、上杉くんと二人で、「これだったら自分たちの方がカッコいいことできるよな。」と。


そして無謀にも、ここでHIP HOPグループGAS BOYSが結成されたのであった。
楽器経験、音楽経験ゼロの自分、素人でも手を出せる魔の音楽HIP HOPにドップリとここからハマっていくのであった。
HIP HOPとスニーカーカルチャーは切っても切り離せない関係だが、自分の中では、スニーカーを好きになったのは小学4年生、当時まだ10歳。PUMAのSMライダーが一番最初のスニーカー。それからスニーカーが好きで好きでたまらなく、けど、ファッションとスニーカーはまだリンクしていなかった時代。それがRUN DMCの出現、先述したBEASTIE BOYSのデビューと相まって、スニーカーとHIP HOPファッションが、ガチャコンとバッチリハマり、現在のシーンを形成するに至るのだが、話が長過ぎるので、その話も追々考察していければと。


取り留めも無い話を、たらたらと書き殴っては投稿していこうと思っている。
Googleをいくら検索しても出てこない話、をatmos UNIVERSITYでは記述していく。
当人しか知り得ない情報、当人の妄想、当人の勘違い、記憶違いなど、諸々あるのは承知の上で、お読みいただけると幸いである。
ひとまず今回はGAS BOYS結成までの経緯。
次回は、GAS BOYS結成の後、レコードデビューまでを書こうかと。ここら辺の時代の記憶が曖昧だけど、なんとか記憶を辿っていけば、、、
次回もDON’T MISS IT !